学び続け成長する存在としての高齢者、その学習にはいったいどのような課題があり、それに対して私たちはどのような方法をとりうるのでしょうか。ラーニングフルエイジング研究会は、ミネルヴァ書房から2015年度刊行予定の書籍『ラーニングフルエイジング−超高齢社会における学びの可能性−』(仮題)との連動企画です。本研究会は、超高齢社会における学びの可能性について様々な研究者と話し、多角的に考えていきます。
第6回の公開研究会は2月18日(水)に福武ホールで開かれました。ゲストは聖路加国際大学教授の中山和弘さんです。「ヘルスリテラシーと意思決定支援」というタイトルで中山さんが研究されている、市民目線での医療と情報のあり方についてお話いただきました。
中山さんは保険医療社会学を専門にされており、検診の現状に関する、市民や患者の意識を調査されてきました。また、現在の研究は「看護情報学」の名のもと、人が健康に関わる情報を得ること、そして、それに基づいて治療に関する意思決定をすること、に対する支援方法をテーマにしていらっしゃいます。
はじめに、ヘルスリテラシーは決して新しい問題ではないという話がありました。1960~70年代に、がんや脳卒中などの慢性疾患が増加し、それを受けて疫学研究が進みました。当時の研究は、病気の原因としてライフスタイルに注目しました。しかし、それは結果的に、病気になるようなライフスタイルを送るのは本人のせいだとする、健康の自己責任論を招くことにもなりました。それに対して沸き起こったのが、「犠牲者非難」への批判です。それによって、ライフスタイルを個人の行動のせいにしてしまうのではなく、消費社会の構造的な問題として捉えるべきではないか、という意見が出されています。
これと軌を一にするかたちで、健康教育のあり方も変化しました。1980年代までの健康教育は個人を変えようとしていましたが、芳しい成果は得られませんでした。それに対して、個人が変えられないのならば、社会を変えるという発想が生まれています。1986年に開かれた第1回世界ヘルスプロモーション会議では、「人びとが自ら健康をコントロールし、改善できるようにするプロセス」を、環境や社会、コミュニティの変革を通じて進めていくことが宣言されました。ヘルスリテラシーの問題は、個人の努力だけではなく、それを包み込む社会の問題なのです。
ヘルスリテラシーは、どのように定義されるのでしょうか。Zarcadoolasら(2006)によれば、「情報を得た選択(Informed Choice)によって、健康リスクを減少させ、生活の質を向上させるために、健康情報を探し、理解し、評価して利用できるという、生涯を通して発達する幅広い範囲のスキルと能力」がヘルスリテラシーです。これまで、ヘルスリテラシーのある人に対しては健康情報が伝わっていましたが、そうでない人には情報が伝わっておらず、ヘルスリテラシーの低い人にあわせた情報発信も行われていませんでした。その結果として、情報の格差が、健康の格差に結びつくことになったのです。テレビの健康番組は確かに大きな影響をもっていますが、それが本当に健康に結びついているかはわかりません。
ヘルスリテラシーが関係する場面は、ヘルスケア、疾病予防、ヘルスプロモーションという3つの領域にまたがっています。ヘルスケアは自分の健康状態に対処したり、医療機関を調べて受診したりすることです。疾病予防とは、検診や健康診断を受けること。ヘルスプロモーションとは、環境を変えることであり、例えば健康に関係した政策についての情報を得ることができるか、ということが問題となっています。
ヘルスリテラシーとは、ただ単に情報を得ることができるかどうか、という問題ではないことは、すでに指摘された通りです。Nutbeam(2000)によれば、ヘルスリテラシーには次のような種類があります。
・機能的ヘルスリテラシー
事実に基づいた健康リスクと健康サービス利用に関する情報の伝達
・相互作用的ヘルスリテラシー
機能的リテラシーに加え、サポーティブな環境のなかで個人のスキルを発達させる機会があること
・批判的ヘルスリテラシー
健康の社会経済的な要因について知ること
また、こうしたヘルスリテラシーを身につけるにはどうしたら良いかということに関して、現状では機能的ヘルスリテラシーに関する研究が主流になっています。例えば、Sorensenら(2012)の最新の研究では、ヘルスリテラシーを「ヘルスケア」「疾病予防」「ヘルスプロモーション」の3領域に分け、「入手」「理解」「評価」「活用」という4つの能力によって整理されています。
ヘルスリテラシーの必要性が訴えられていることを裏返せば、今の社会ではヘルスリテラシーの低い人が多い、ということができます。例えば、アメリカでは9人に1人しか、日常的に提供されている高卒レベルの健康情報を理解できないという結果が、全国調査から得られています。ヨーロッパ9か国の調査(European Health Literacy Survey)では、ヘルスケアで40%、疾病予防で42%、ヘルスプロモーションで49%の人々が、情報を理解できないという問題に直面していることが明らかになりました。
中山さんは、こうした調査を日本で行ったらどうなるかと考え、ヨーロッパと比較するかたちでの調査をなされました。
ヘルスケアに関しては、日本では、ヨーロッパと比べて、自分から相談したり判断をくだしたりすることを難しく感じる人が圧倒的に多いようです。ヨーロッパでは家庭医制度があるので、健康問題に関して誰に相談するのか、という点ではある意味悩みようがありません。日本ではこうした環境が存在しないので、難しさを感じるのかもしれません。
疾病予防については、日本人は評価が難しいと感じています。素人判断や自己判断をしないように育てられているのがその理由でしょうか。
ヘルスプロモーションに関しても同様で、理解や入手という点では日本とヨーロッパの間にそこまで差がありませんが、活用や評価の部分で、違いがあります。このように日本とヨーロッパで大きな差が出たことは、中山さん自身、驚きだったと言います。
では、ヘルスリテラシーを高めていくために、どのような方法が考えられるでしょうか。アメリカには「Healthy People 2010」という取り組みがあり、国民全体にくまなく健康情報が行き渡るよう、人々がどこで健康情報を得ているのかマーケティング調査を行い、戦略的に進めていく姿勢が打ち出されています。
病院の中でできる医療安全の観点では、AHRQ(Agency for healthcare Research and Quality)による「Improving Your Health Literacy」 があり、医者と患者の間でコミュニケーションが行われ、患者が自ら意思決定をすることを促進しようとしています。その際、誰がどの程度ヘルスリテラシーをもっているのかは分からないため、どんな人でもリテラシーが低いと考えて接することが前提にされています。アメリカ医師会の医師向けのマニュアルは、ヘルスリテラシーの低い人に対するコミュニケーションの方法として、次の6つを挙げています。
(1)ゆっくりと時間をかけること
(2)わかりやすい言葉、専門用語以外を使う
(3)絵や写真を見せる
(4)1回の情報量を制限して、繰り返す
(5)ティーチバック
(6)質問しても恥ずかしくない環境をつくる
このほかにも、患者が医療者に対して、「自分の主な問題は何か?」「何をする必要があるのか?」「これをすることがなぜ重要なのか?」と質問することを促す、「Ask Me 3」というキャンペーンもあります。
また、健康情報を得ることのできる、わかりやすいサイトをつくるということも考えられます。アメリカでは、インターネット上の健康情報の半分が間違っているという研究があり、それを受けて国が情報を集約したポータルサイトをつくっています。日本では、「ここさえ見ればよい」というサイトがなく、情報入手を難しくしています。
高齢者にとっては、一人でも健康情報に詳しい人とつながれば、その人を通じて情報を入手することができます。つながりをつくるために、カフェのような気軽に集える場をつくる取り組みもなされています。中山さん自身は「健康を決める力」(www.healthliteracy.jp)というヘルスリテラシーを広めるためのサイトを運営していらっしゃいます。イギリス高齢化長期研究(ELSA)によると、インターネットを利用している高齢者ほどヘルスリテラシーが低下しないと言われています。こうした問題について、中山さんは今後も研究を続けていかれるとのことです。
中山さんのご講演の後、約1時間程度の質疑応答の時間が設けられました。健康情報をめぐってご自身の経験をもとに話される方も多く、活発な議論が交わされました。
ヘルスリテラシーは個人的な能力の問題ではなく、社会や環境の問題であるという発想は、非常に興味深いものです。患者と医者とのコミュニケーションや、インターネットの利用のあり方など、ふだんの生活の中で思い起こされる、まさに市民目線のお話であったと感じます。
今回お話しいただきました中山和弘さん、お集まりいただいた参加者の皆さま、どうもありがとうございました。
〔 アシスタント:杉山昂平〕