本研究会では、超高齢社会における学びの可能性について様々な実践者・研究者と対話し、多角的に考えています。
第13回の公開研究会は、2016年2月16日に福武ホールで開かれました。今回の研究会では、英国のオーケストラ「マンチェスター・カメラータ」のニック・ポンシロさん、東京大学教授の岡田猛さん、東京大学講師の新藤浩伸さんにゲストとして登壇していただきました。お三方からは、音楽をはじめとする芸術文化が、高齢者をはじめとする多世代の人々の生活と学びに、どのようにして貢献するのかをお話しいただきました。
今回は年度末であるにも関わらず、100人近い方々にお越しいただきました。芸術文化と学びに情熱をお持ちの皆様とともに時間を過ごすことができました。
1.「英国のオーケストラにおける音楽教育」
ニック・ポンシロ氏
(マンチェスター・カメラータ カメラータ・イン・ザ・コミュニティ部門長)
ポンシロさんは、英国のオーケストラ「マンチェスター・カメラータ」において、カメラータ・イン・ザ・コミュニティ部門を率いていらっしゃいます。マンチェスター・カメラータは、英国北西部の都市マンチェスターで活動する室内管弦楽団です。トップクラスの音楽家たちによるコンサート・パフォーマンスに加え、音楽を通した次世代の育成やコラボレーション、自閉症児や認知症の人々の生活の質の向上を目的としたプログラムなど、音楽を用いてさまざまな方法でコミュニティの結び付きを深める活動を展開しています。ポンシロさんからは、マンチェスター・カメラータについて、特にカメラータ・イン・ザ・コミュニティ部門の活動をご紹介いただきました。
マンチェスター・カメラータは1972年に設立されました。カメラータという名前は、16世紀イタリアのフィレンツェで活動した音楽サークルの名称に由来しています。このサークルには音楽家だけでなく、作家や思想家も参加し、芸術を進歩させることに打ち込んでいました。マンチェスター・カメラータも、こうした姿勢を受け継いでいるといいます。
その姿勢が表れているのが、「オーケストラにできることを再定義する」という、カメラータの活動ビジョンです。ここ2年間カメラータは、オーケストラはなぜ存在するのか、オーケストラはいかなる機能を果たすべきかをずっと議論してきました。活動資金の20%を公的資金から得ている以上、オーケストラは公益に対してどんな貢献ができるのかを明確にしなくてはなりません。そこで、議論を通じて現時点で出された答えが、「あらゆる人々をどんな時にもつなげていくような感動経験を音楽によって創出し、コミュニティにおける社会的変革を促進する」という活動目標です。既存のクラシック音楽ファンに対して音楽を届けるという、従来のオーケストラ像から抜け出し、積極的にコミュニティに関わっていくという意思が表明されています。
カメラータ・イン・ザ・コミュニティは、まさに、クラシック音楽家とコミュニティが関わりあいながら展開される実践を行っています。以前はラーニング&パーティシペーションという部門名でした。活動は主に3つの領域にわかれ、
・学校の子どもたち
・高齢者の健康とウェルビーイング
・若者のユースプログラム
がそれぞれテーマになっています。いずれもクラシック音楽を専門にしているわけではない人々が、音楽によって挑戦する機会を得て、そこから自信や自尊心を育んでいきます。音楽家にとっても、コンサートでの演奏と切り離せないくらい重要な活動になっているといいます。
健康とウェルビーイング
具体的に、どんな活動が行われているのでしょうか。まず「健康とウェルビーイング」に関するものを紹介いただきました。認知症の人や高齢者、孤独を抱えている人や自閉症スペクトラムの人との音楽活動がこの領域に含まれます。
「Music in Mind」は、ケアホームの住人である認知症の人と介護人が、オーケストラ団員とともに行う連続ワークショップです。ふつうのセラピーのように人生を振り返るのではなく、その瞬間に創造的であることを目指し、住人その人が今、どのような音楽を奏でたいかに主導されながら、グループで音楽づくりを行っていきます。こうした活動を通して、住人が見違えるような活発さを見せ、住人と介護人の関係が改善されたり、住人どうしの交流も増え、関係も良好になったりしました。ワークショップが着実に住人のウェルビーイングに貢献したほか、ワークショップを行うスキルが住人や介護人にも受け継がれていきました。意外な効果として、これまで外来のヘルスサービスに通っていた住人たちが、ワークショップを経験したあとは、それに行く必要を感じなくなったという結果もあります。ミュージック・イン・マインドは、薬ではなく音楽によって認知症の人に健康をもたらしたのです。
音楽であったということが、認知症の人にとって重要だったようです。言葉を操ること、会話をすることに困難をいだく人でも、音楽ならばできるし、歌うこともできるからです。「言葉のいらない言語」として、音楽は彼・彼女らに表現の手段をもたらしました。
「This Way Up」は、医療サービス機関とともに、テームサイド(マンチェスター東部の都市)で行ったオペラ・プロジェクトです。地域において孤独になっている人がいることが課題になり、また孤独が健康問題と結びついている現状に対して、カメラータは住民とともにオペラをつくりあげる活動で挑みました。参加者には認知症の人や、希死念慮を抱いている人、うつ病の人が含まれていました。はじめは知り合いもいなく不安だった参加者たちは、毎回のセッションが始まり、ともに演劇ゲームや歌に従事していくなかで打ち解け、良い雰囲気でオペラをつくりあげていきました。
特筆すべきことに、このプロジェクトの最終的なコンサートは、ブリッジウォーター・ホールという一流のオーケストラも使用するコンサートホールで行われました。それも、オーケストラのコンサートがある日に、満員の観客の前で。これは、参加者がつくりあげたオペラに対して、芸術作品としての価値を認め、音楽家たちと同じ経験を提供することを意味します。うつ病の人にとって、電気けいれん療法よりも、観客たちのスタンディング・オベーションの方が、病に対する効果がありました。ジョーンという女性は、このプロジェクトを通してうつ病を克服し、地域での活動にもより多く参加するようになったそうです。
「Portraits」は、マンチェスター大学とエイジ・フレンドリー・マンチェスターとともに行ったミックスメディア・プロジェクトです。若年性認知症を抱える人が、家族や介護人と一緒になって、音楽やヴィジュアルアートによって作品をつくりあげていきます。言葉でのコミュニケーションに困難を感じても、ハミングや絵画なら自分の思うように表現ができます。認知症の人は、ふだんは人から「~をします」と言われるばかりでした。しかし、このプロジェクトは、カメラータのメンバーの支援を受けながら、彼・彼女らの自発性を尊重し、「患者」ではなく「アーティスト」として自身の作品をつくりあげることを可能にしました。妻が初期のアルツハイマーと診断されたロビーは、夫妻でプロジェクトに参加することで、思ってもみなかった創造力とエネルギーが、認知症の人から引き出されたことが印象に残ったといいます。
このように、カメラータの「健康とウェルビーイング」活動は、病気を抱える人や高齢者であっても、ひとりの表現者として音楽に打ち込むことで、ふだんの生活からは考えられなかった自らの可能性に気づけることを示しています。カメラータは、ともに音楽を奏でる一員として、彼・彼女らの創造力に寄与していったのでした。
ユースプログラム
さて、これまでの活動は主に高齢者と音楽をつなげたものでしたが、「ユースプログラム」は学校外での若者の交流を、音楽によって実現する活動です。特に、貧困だったり、ギャング文化に浸っていたりと、何らかのリスクを抱えている若者にアプローチしたものです。彼・彼女らはそれまでクラシック音楽とかかわることは全くありませんでした。それを逆手にとって、創造的な音楽をつくりあげたのだ「ReMix Live!」です。
「ReMix Live!」では、若者とカメラータがともに舞台に上がり、「フィガロの結婚」を演奏しました。特徴的なのは、この「フィガロの結婚」は、ふつうのモーツァルトの曲とは違うということです。若者たちによって「リミックス」されているのです。パフォーマンスの様子はYouTubeで視聴することができます。まずオーケストラによる演奏がなされたのち、若者が登場して舞台上で「セルフィー」をし、それを詞にした歌をうたいます。背後には内容に合わせた映像作品も上映されています。曲、舞台構成や、映像作品は、オーケストラ団員や俳優、映像作家の助けをかりながら若者たちが全て自分でつくりあげたものです。作品としてのクオリティも非常に高いことがわかります。この作品は、全12時間のワークショップでつくりあげられました。
このプロジェクトが始まる前は、オーケストラの聴衆の前でこのようなパフォーマンスをすることは適切でないと考えるカメラータ団員もいたようです。しかし、実際にやってみて考えが変わったといいます。すごく良かった、もっと聞きたいし、こんな公演をもっとすべきだと。
若者たちにとっても、プロジェクトに参加した影響は大きかったようです。音楽に対する熱意が生まれただけでなく、自信や自尊心も得られたといいます。「参加当初は恥ずかしがりだった自分も、人に声をかけられるようになった」という声もあがりました。
ポンシロさんからご紹介いただいたのは、以上のようなプロジェクトでした、音楽を通してコミュニティの高齢者から若者までに関わっていくようなオーケストラは、「イギリス中でもうちくらい」だそうです。
こうした先進的なプロジェクトが可能になる背景には、さまざまなアクターとの連携を模索する努力が欠かせません。例えば、「Music in Mind」は、マンチェスター大学、ランカスター大学、エイジ・フレンドリー・マンチェスター、テームサイド大都市自治区、国民保健サービス、アルツハイマー協会との協力によって運営されました。大学が記録や評価を行い、アルツハイマー協会が認知症講座を行うなど、オーケストラだけではできない活動をコラボレーションによって達成しています。
プロジェクトを立ち上げるにあたっては、ロジックモデルをつくり、エビデンスをもとに議論するなど、その活動の金銭的ではない価値を示すことに気を配っているそうです。プロジェクトの最初の状態は白紙で当然で、そこを埋めるのは大変だといいます。でも、「それはやるべきことだ」と感じてもらえるよう努力すれば、サポートも自然に得られるようになると、ポンシロさんは最後におっしゃいました。
2.「表現を楽しむ人生を送るには」
岡田猛氏
(東京大学大学院教育学研究科教授/大学院情報学環兼担)
次にお話しいただいたのは、岡田猛さんです。岡田さんの研究室では、芸術創造と触発過程に関する研究プロジェクトをここ10年ほど進められています。研究方法は、フィールドワークを行って美術家の方にインタビューをしたり、心理学実験を行ったり、ワークショップなどの実践を行ったりとさまざまです。今回は、そうした研究の中をもとに、美術家の創造過程や、人生における表現活動についてお話しいただきました。
創造過程とサプライズ
「創造には、サプライズが重要」というのが、岡田さんの中心的な主張です。美術家などの「創造的熟達者」は、サプライズを起こすような出会いを積極的に準備していることが、研究によってわかってきました。美術家だけでなく、科学者や建築家といった、やはり創造的な活動に携わる人々も、実験での予想外の結果や、スケッチによる予想外のパタンの発見を活用しています。
では、どのように美術家はサプライズを起こそうとしていたのでしょうか。研究では、現代美術家である篠原猛史さんに協力してもらい、彼の制作プロセスを録画し克明に記録したのち、内省報告やインタビューによって「何を考えながら制作していたのか」を聞き出していきました。下書きからドローイングを生み出し、最終的に立体に変化させていくような彼の制作プロセスは、一瞥しただけでは「何をやっているのか分からなかった」といいます。しかし、全体のプロセスの中で、彼の試みている作業を位置づけ、分析してみると、それが「創造の制約条件の変更」としての「ずらし」であることが分かってきました。
例えば、私たちがふつうものを描くときは、紙を置いて下向きになりますが、彼は下向きに描いたあとに、今度はあおむけになって上向きで描くことを試みます。そしてしばらくしてから、また下向きになって制作を続けます。これは、下向きで描くという、ふつうの「制約条件」から、上向きで描くという制約条件に「ずらし」たことで、作品の見え方や捉え方を変えようとしていたと解釈されます。制作の際、彼は「画面に入りたい」「コミュニケーションしたい」など、さまざまなイメージをもちながら表現をしていますが、「ずらし」を行ったことで、それまでにはなかった驚きを得て、イメージや感情が変化したと報告されています。積極的にサプライズに出会おうとしたことで、制作過程に新たな展開が生まれたのです。
このように一つの作品を制作する過程でも、美術家はサプライズによって作品イメージの変化を経験していますが、作家人生という長期間においても、創作のコンセプトやビジョンの変化が起きています。小川信治さんという美術家は、最初にもっていた表現技法をさまざまな対象に適応したり、少しずらして使ったりしながら、しだいにより抽象化された高次の創作ビジョンに到達していました。こうした変化は30代半ばくらいに起きるといいます。
創造的教養人
さて、これまで挙げられた例は美術のエキスパートたちによる表現活動でしたが、表現は彼らのものに限定されるわけではありません。アマチュアでありながら、人生を通して豊かな表現活動を行っている人々も存在します。岡田さんはそんな人々を「創造的教養人」と呼びます。もともと服飾デザインの仕事をしていたが、今は山で暮らしながら、自宅の装飾などをすべて自分でつくっている人。かつて習った書道を、仕事で看板を書く際に活かしたり、定年後も書き続けたり人。そうした人々は、アートマーケットで作品を売ったり、人に公開したりすることは目的にしていません。芸術表現によって自分を見つめなおすことや、人生を豊かにすることに価値を置いているのです。
このような表現を楽しむ人生を送るにはどうしたら良いのでしょうか?まずは、何かをやってみることが重要です。先ほどの創造的教養人の例のように、彼らは人生のどこかで芸術表現について学ぶ機会をもっていました。一度、表現のやり方を身につけてしまえば、様々な機会にそれを使うことができます。そして、現代美術家のように、ときどき制約条件をずらしサプライズを起こそうとすると、マンネリ化することもないでしょうし、新たな発見や自己理解を体験しやすくなるでしょう。一定期間、継続してみると、より見えてくるものがあるはずです。
芸術家、評論家、学芸員、市民、様々な人が表現に関わり、互いに触発されていくようなコミュニケーションが生まれることを、岡田さんは目指しているといいます。プロだけでなく、アマチュアの表現活動にも価値や発展可能性があるのです。
3.「大人の学びと文化の発展」
新藤浩伸氏
(東京大学大学院教育学研究科講師)
最後にお話しいただいたのは新藤浩伸さんです。新藤さんは生涯学習を専門にされており、特に音楽と大人の学びに関心をもっていらっしゃいます。ご自身もアマチュア・オーケストラで演奏されていました。新藤さんには、日本における生涯学習の実態と、文化の関わりについてお話しいただきました。
生涯学習とは何か
生涯学習という言葉は、新自由主義的な雰囲気のもと1980年代に普及しました。その時代は、「学びたい人がお金を出して学ぶ」カルチャーセンターが普及した時期だったといいます。ですが、日本では「社会教育」という言葉が大正~昭和初期から使われ、国際的にも1960年代にはユネスコが「生涯教育」を提唱しています。近年では貧困や少子高齢化、福祉や地域といった文脈からも、生涯学習は注目されています。新藤さんは、生涯学習とは学びも含めて「人がどう生きるか」を問題にするものであると捉えています。
生涯学習は3つの活動形態に分けられます。1つ目がフォーマルな活動。これは行政や公民館、ミュージアムなどによって制度化された活動です。2つ目がノンフォーマルな活動。これは各種の団体やグループ、NPOなどによる活動です。そして、3つ目がインフォーマルな活動。これは組織化されず、当事者には学習である意識されていないような多様な活動です。実際に行われている活動は多岐にわたりますが、音楽や美術などを含む文化活動は、生涯学習のなかでも多数をしめています(内閣府「生涯学習に関する世論調査」より)。
生涯学習について考えるうえでは、いくつか課題が存在しています。生涯学習はよく、「活動に参加しているかどうか」という形で把握されますが、はたして、何をもってして「参加」といえるのでしょうか。調査では「生涯学習をしたことがない」と回答する人も存在します。しかし、日常生活において学ぶことがない人はいないはずです。では、インフォーマルな活動は、どこまでを生涯学習とみなせば良いのでしょうか。あらゆることが生涯学習になる可能性を秘めているからこそ、逆に生涯学習への参加を定義することには困難がつきまといます。
芸術文化と生涯学習
文化に関しても、難しい課題があります。国内で文化活動に参加する人は多くいますが、それは彼・彼女らにとって、文生涯学習としてどんな重要性をもっているといえるのでしょうか。文化活動に対する一般的なイメージは「やりたい人がお金を出してやればいいこと」以上には育っていません。「学習」というからには、文化活動を通して何らかの価値ある変化が起こりうるはずですが、それをどのように説明したらよいでしょうか?
実際に地域で行われている活動を見てみると、文化は「個人的な楽しみ」以上の価値をもちうることがわかります。長野県飯田市では、今でも地芝居や素人演劇がコミュニティスペースによって行われています。あるいは千葉県柏市では、ミュージアムのない柏において、まちをミュージアムと見立て市内を探検するコミュニティミュージアム活動が行われています。こうした活動は、それを通して人々が地域との結びつきを感じたり、新しい地域の姿を発見したりすることを可能にしていきます。
デイビッド・ジョーンズは『成人教育と文化の発展』において、大人が芸術文化を学ぶことは次のような変化をもたらすと述べています。すなわち、知覚、表現の媒体を扱う能力、創造的なプロセスに関わる能力、表現活動の本質をみきわめる能力、芸術的価値の相対性への意識を育てること、です。こうした学びによって、個人的な美意識の発達が起きるだけでなく、芸術文化が維持発展され、またコミュニティも発展していきます。文化活動は基本的には楽しさをもとにつながる私的な集まりによって行われますが、それは地域を支える公的な力ともなるのです。
ただ、大人が活動に参加するには、ためらいや不安とどう向き合い、乗り越えるのかという障壁もあります。また、そもそも機会がなかったり、貧困状況にあったりする人にとっては、参加することはかなわないでしょう。芸術文化との関わり方には、鑑賞(観る、聴く)、参加(すでにある作品のパフォーマンス)、創作(ゼロから作りあげていく)、支援(芸術を楽しむ人を支える)などさまざまな選択肢があります。だからこそ、行政的な支援がいかに行われるべきかなど、生涯学習にめぐる議論が活発に行われる必要があるのです。
4.質疑応答
ポンシロさん、岡田さん、新藤さんの話を受けて、参加者の方々から様々な質問をいただきました。
「青少年と演奏会のあいだには距離が大きく、それを埋めることをしたいと思っています。マンチェスター・カメラータの活動は青少年自身が舞台に上がることが良いと感じました。彼・彼女らにとって表現することや舞台に上がることはどんな意味があったのでしょうか?」
ポンシロ:若い人たちのなかにもクリエイティブな人はいます。PCでトラックをつくったり、SNSをやったりするような人たちですね。一方で、それを伝える手段がない人や、まったくやったことのない人も多いのです。ユースプログラムの参加者で、楽器演奏を習ったことのある人は全然いなかった。けれども、彼・彼女らは舞台に上がることを通して自己実現をしていたのです。機会があって、それにアクセスできれば、表現を通して自己実現をできる青少年はもっといるはずです。
「活動に参加することが何よりも重要だと思いましたが、そのためにどのようにして人を巻き込んでいったのでしょうか?」
ポンシロ:接触をすることと、継続をうながすことが重要です。本当は交流をしたくてもできていない人が多いのですが、そうした人たちを探しだすのです。大変ですが、コミュニティがすでに把握していたり、一度参加してくれた人が連れてきてくれたりすることもあります。
「活動を通して楽しそうな様子は伝わってきますが、その評価はどのようにできるのでしょうか?」
ポンシロ:核心をつく質問です。いま現在、スタンダードな評価法があるわけではありません。日記や聞き取りをエビデンスにしていて、実際に活動を通して変化があったことはわかります。ただ、それでも「創造のその瞬間に何が起きていたのか」は説明できません。音楽は演奏するその瞬間こそに意味がありますが、それを捉えるのは難しく、現段階では後になって聞き取りをするしかありません。何とかしてその瞬間を評価できないか、新しい方法を開発したいと考えています。
「音楽ならではの特徴とはいったいどこにあるのでしょうか?」
ポンシロ:音楽は原始時代からあって、生活の中に溶け込んでいます。音楽そのものが言葉として機能できるからこそ、障壁が小さいと考えています。
新藤:言葉がいらないことは重要だと思います。ほかにも、いろいろな楽しみ方ができることも挙げられます。カラオケでも、歌ってもいいし、聴いていてもいい。
岡田:舞台芸術と美術の違いというと、音楽を含む舞台芸術は直接的なコミュニケーションであるところが特徴だと思います。美術作品を通した間接的なコミュニケーションとは違う力をもっているでしょう。ただ、舞台芸術のなかで、音楽と演劇の区別をすることは、はっきりできないかもしれません。
今回の研究会を通して、芸術文化が私的な表現活動ゆえの魅力をもち、人々の変化や学びにつながっていくこと、しかし、それは団体や地域と結びついて公的に実践されるからこそ引き出される魅力であることを強く感じました。音楽をはじめとする表現活動によって、自分の新しい可能性に気づいたり、内省を深めたりすることは、個人の中で起きる学びです。ですが、それは仲間やプロのオーケストラ団員とともに活動に励んだからこそ得られるものなのでしょう。あるいは直接的な交流はなくとも、過去の偉大な芸術家や、地域の歴史と交感しあうことも、芸術文化活動を豊かにしていきます。もしそれを「個人の楽しみの問題だ」と考えて、私的な領域に閉じ込めてしまえば、おそらく芸術文化がもたらす喜びも、自己に対する理解も、削がれてしまうのではないでしょうか。「学びあふれる社会のために、芸術文化ができること」について考えていくためには、芸術文化が社会においてどのように位置づけられていくかを考えることと不可分である、という思いを抱きました。
お話しいただいたニック・ポンシロさん、岡田猛さん、新藤浩伸さん、お集まりいただいた参加者のみなさま、どうもありがとうございました。
〔文責:東京大学大学院学際情報学府山内祐平研究室 杉山昂平〕
本ワークショップは、JST-RISTEX「
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