創る読書・蝕む毒書
本は創造力を養いますが、読み方を誤れば毒薬です。
比較文学を研究されている上田仁志先生は「疑問を抱きかかえた読書」を強調されました。問いは好奇心を擽り、想像を拡げることでしょう。今回のブックカフェテラチでは『イソップ寓話集』を取り上げ、自分なりの視座と視点と視野を持って新たな寓意を創作するワークショップを開催致しました。
ニッポンとフランスの比較文学
岩波文庫版の『イソップ寓話集』には、471篇の寓話がおさめられています。蟻やきりぎりす、兎や亀が登場するイソップ寓話ですが、わずか数行の短い物語の中にはたいへん奥深い人生訓が凝縮されています。こうした教訓は古代ギリシアから語り継がれるなかで、時代や国境を越えてバラエティ溢れるものへと発展していきました。人生訓は社会の影響を色濃く受けながら、翻訳者や編集者によって自在に読み替えられてきたのです。
例えば「蟻ときりぎりす」の話も日本とフランスでは全く異なる人生訓が与えられています。あまり知られていませんがそもそもこの物語が日本に伝来した頃、その登場キャラクターは蟻と蝉でした。蝉は冬まで生きられないためキリギリスに読み替えられたのではないかと言われています。肝心の教訓ですが文禄二年(1593)に出版された『天草本伊曽保物語』では働き者の蟻が見習うべき人間の姿として描かれ、自己責任の重要性を示唆しています。日本人の理想像を示すのに、勤勉な蟻は格好のメタファーでした。
ところが17世紀フランスのラフォンテーヌ版では働き者の蟻を嫌悪的に描写しています。つまりフランスでは遊び好きの蝉が好まれたのです。こうした文化的な差異が比較文学の面白味です。
物語の骨格は類似していたとしても、そこには翻訳者や編集者の「読み」が発露します。ときに残酷に、ときに滑稽に、ときに社会への風刺とおなじ物語が多彩な顔を見せます。これら『イソップ寓話集』の背景知識を押さえて、いよいよオリジナル教訓を創作するワークショップに入ります。
寓意の共創
物語は「視座」と「視野」と「視点」といった三つの視力を調節することで千差万別の意味合いを浮かべます。イソップ寓話も、どの立場からどこに目をつけて読むかによって独自の解釈が可能です。今回のワークショップでは誰もが一読したであろう『北風と太陽』を読み直し、オリジナル教訓を創作しました。この物語は、北風と太陽が腕比べするため通行人の服を脱がすことを競い合い北風が負ける、という競争(competition)の寓話です。そしてこの寓話から参加者が創作した教訓はたいへん真新しいものでした。
・争いは、周囲の人々に迷惑をかける。
・他人の思惑に嵌る人は、感情に流されたまま行動に移す人。
・勝負の決着は、いかに自分に有利なルールを設定するかで決まる。
上から順に通行人の視座、北風の視座、太陽の視座と様々な立場から教訓が創られました。
この視座や視野、視点が喪失した読書は危険です。思索がないため著者の解釈の域から抜け出せません。それなのに先生も社会人も「本は読め」と薦める一方で、読み方をアドバイスする大人はあまり見かけません。そういう意味で上田先生の「疑問を抱きかかえながら読む」という読書指南はたいへん貴重な箴言です。そして問いを生むには、自分の視座と視野と視点をクリアにしてから読みに取り掛かるのが効くでしょう。遊び好きの蝉も、ふとした問いが頭を過っていれば惨めな冬を過ごさずに済んだかもしれません。
〔ブックカフェテラチ店長 山田淳史〕
本ワークショップは、JST-RISTEX「持続可能な多世代共創社会のデザイン」研究開発領域 平成27年度採択プロジェクト企画調査「